屍人荘の殺人 〈屍人荘の殺人〉シリーズ (創元推理文庫)
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今日の
屍人荘の殺人はどうかな?
部屋のカードキーは表に部屋番号、裏面には磁気ストライプが入っている。ドアに付いているスロットに押し込むと、ピッと音がなって鍵が開いた。
意外だったのはドアが外開き、つまり廊下側に開くということだ。客室のドアが廊下を塞ぐと避難の妨げになるからと聞いたことがあるが、もしドアの内側で人が倒れた時に開閉ができなくなってしまうので外開きに方がいいという説もあるし、そう珍しいことでもないかもしれない。
中に入ってドアを閉めると、自動的にガチャンと錠が下りる音がいた。ドアにはドアガードが付いていて、掛けると10センチほどしか開かないようになるし、開けた隙間に挟めばストッパーとして半開きのまま保つこともできる。
カードキーを壁際のホルダーに押し込めば室内の電気が使えるようになるのは、ビジネスホテルと同じだ。
部屋に入ってまず目に飛び込んできたのは大きな窓からの眺望。晴天の下、森の向こうに広大な娑可安湖がくっきりと広がり、まるで海のようだ。
部屋も想像よりも広めだった。10畳ほどの空間に廊下と同じ臙脂色の絨毯が敷き詰められ、セミダブルのベッドと電話機の載ったナイトテーブル、鍵付きのデスクなどが置かれていた。壁には珍しくデジタルの掛け時計が掛かっており、葉村の腕時計と同じ時間を刻んでいる。電波受信の表示があるので電波時計のようだが、時分のみを表示するシンプルなものだ。
ベランダは外向けの観音開きになっていて、外には戸がギリギリ開くくらいの狭いスペースがある。椅子を持ち出せるほどではないが、外の風を満喫するには十分だろう。
ベランダから外をのぞくと、右手に各部屋が斜めにずれた雁行型の建物の形が見えた。
集合時間まではまだ余裕があるので、葉村はペンションの中を少し見て回ることにした。
廊下の出て左、エレベーターホールの向かう。隣の静原の部屋を通り脱ぎ手まず目についたのは、廊下からエレベーターホールへ抜ける地点に1枚の扉があること。木製だり、防火扉というわけではなさそうだが、今は開け放たれている。よく見ると扉のどちらの面にも鍵穴が付いている。つまりどちらからでも鍵をかけられる造りなのだ。
しおりの平面図によると建物は扉によって、東、中央、南の3エリアに分かれているようだ。この扉から手前、葉村と静原の部屋があるのが東エリア、エレベーターホールがあるのが中央エリア、そこを進み同じような扉を超えた先が南エリア。各エリアには2つから3つの部屋がある。
部屋割りでは3階中央エリアの3部屋には東から、進藤、重元、明智の名が書かれている。重元というメンバーにはまだ会っていないから、おそらく先乗りの一人なのだろう。進藤の305号室だけは部屋の並びが他と違い、窮屈そうな位置にドアがある。部屋によってドアが右開きだったり、左開きだったりするのは、おそらく排水管やガス管の関係で室内のレイアウトが左右対称になっているためだろう。
エレベーターホールには客室以外にも2つの扉があった。扉のプレートに倉庫、リネン室と書かれている。
その時、南エリアの廊下から一人の女性が姿を現した。
「ひょっとして、ミス研の明智さん?」
「研究会ではなくてミステリ愛好会です。1回生の葉村といいます」
「あたしは社会学部3回生の下松孝子。よろしく」
下松もまた美人だったが。ふわふわのパーマを掛けた金髪をポニーテールにし、きっちりメイクを施したその風貌をどちらかというとギャル寄り、今どきの街の女の子といったイメージだ。
「君達、わざわざ参加を志願したって?誰か狙ってる女子でもいるん?だといたらけっこう大変よ。今回ガード固めの子が多いから」
「いやいや」
「あれ違うの。やだひょっとして君もライバルなわけじゃないよねぇ。あんまし大きな声じゃ言えないんだけどぉ、ここを提供してくれてる七宮さんって先輩知ってる?」
「ああ、さっき会いました」
「あの人のおうちって、有名な映像会社やってんのよね。それでさ、彼にうまく気に入られたら就職を口利きしてもらえることがあるんだって」
「下松さんはそれを本気にして合宿に参加したんですか」
「そりゃそうよ。あたしの成績じゃ普通に就職活動したってロクなとろこに受かる自信ないし、何十社も試験を受けるなんてウンザリでしょ。じゃなかったら誰がこんなボンボンの道楽に、あながちデマってわけでもないのよ。実際その会社には去年も就職した人がいるの。こんなふうにペンションを息子の好きに使わせるくらいだからさ、親も相当な甘ちゃんなんじゃない?」
「さっき、君もライバルって言ってましたよね。他にも就職のコネが目的な人がいるんですね」
「あいつよ、あいつ。部長。あいつそんな頭良くないからね。そういううまみでもなけりゃ彼女連れでこんな合宿に参加しないでしょ。だから先輩の機嫌と取ろうと必死なのよ。
っと、撮影の準備があるんだった。君達も同行するの」
「はい。もし何かお手伝いできれば」
「オッケー、じゃあ後でね」
下松は軽やかに手を振りエレベーターで下りていった。
葉村はそのままエリア間の扉を開けて南エリアへ向かう。
南エリアは2つの部屋が並んでいた。手前の302号室が先ほどの下松の部屋、そして一番奥が空白になっている。OB連中の誰かが泊まっているのだろう。奥へ進むと非常階段へと出る扉に行き当たる。
葉村は中央エリアまで引き返し、2階に下りることにした。エレベーターは菅野が言っていた通り、かなり手狭だった。定員は4人となっているが、こういう場合は一人当たり65キロ計算と聞いたことがある。つまり合計260キロ。大人の男が荷物持って乗れば3人でもギリギリではないだろうか。
2階につくと、目を見張る光景が現れた。3階とは違い、広々としたラウンジがあったのだ。高級住宅の居間をそのまま移し替えたような、60インチはあろうかという大型テレブが隅にあり、その前に贅沢なソファーセットが並んでいる。壁際には部屋と同じ電話機、ウォーターサーバーやコーヒーメーカーまで用意されていたが、一番目を引いたものは別にあった。
重厚な造りをした武具のレプリカの壁一面に飾られていたのだ。オーナーの収集品だろう。
見る限りでは日本刀はなく、西洋の剣や槍、ハンマーなどが鈍色の光を放っている。ファンタジーもののゲームやアニメではおなじみの装備だが、実物を目にするは初めてだ。まず目についたのは様々な剣。片手、両手持ちの両用可能なバスタードソード、美しい曲線を描くシャムシール、それに細長いのはレイピア、いや直線的でシンプルな鍔からしてエストックだろうか。槍はほとんどショートスピアーだろうが、それでも2メートル近くある。短剣ではダガーにククリ、さらにボウガン、珍しくメイスもあるではないか。そして壁際には横長のアクリルのケースが並び、中に忠誠の戦の様子を再現したミニチュアが組まれていた。
「すごいでしょう」
振り返ると管野が立っていた。東の階段を上ってきたようだ。手にはコーヒーフレッシュと紙コップの袋を持っている。補充に訪れたのだろう。
「価値はよくわかりませんけど、オーナーはよっぽど中世の戦が好きらしくて」
「作り物ですよね」
「刃は潰しているみたいですが、素材は本物と一緒だって聞きましたよ。今でも月に一度は埃を払って手入れをするように指示されているんですよ」
「あれは?」
テレビ台の脇を固めるように、左に4体、右に5体、葉村の腰くらいの高さ、1メートルほどの全身像が並んでいる。青みがかった鈍色をしているところを見ると銅像だろうが。
「西洋で有名な九偉人のブロンズ像らしいですよ」
「まあ猟銃がないので安心しました」
「数年前まではあったらしいですよ」
「えっ」
「兼光さんが内緒で持ち出して撃ってしまったことがあって、それ以来置かないようにしたんだとか」
「そういえば管野さん。この紫湛荘はペンションとしては少し変わってまうよね。用途不明な扉があったり、部屋が広い割に全室シングルだったり。従業員も管野さんだけですよね」
「この建物は昔オーナーが別荘として使っているものを会社の研究施設兼保養所そてい増改築してもので、廊下の扉はその名残なんですよ。ペンションと呼んでいますが利用者は社員とその家族だけなので、普段は暇なんです。パートのお手伝いさんがいる時もありますし」
その時後ろからやりとりが聞こえてきた。
「歩、心配ないって言ったよね。あれで心配ないって本気で思うわけ?」
「ちゃんとするから」
「そういう問題じゃないでしょ!あの時どうして強く言ってくれなかったの」
「そんなこと言っても」
20号室は星川の部屋のようだし、歩というのは進藤の名前だったはず。
「大変ですね。喧嘩と告白は旅行初日が一番危ない」
隣で管野がぼそりと言う。
言い争いは続いていたが、そろそろ約束の時間になりそうだったので、1階に下りることにした。
ロビーには比留子がいた。ラウンジの武具なんどについて意見を交わしていると、約束の2分前になって現れた明智がスマホの受信感度が悪いのかあちこちに向けながら「明日は雨になるらしい」と言った。
「クローズドサークルですか」
葉村がそう言うと、比留子が首を傾げたので、葉村が補足する。
「天候や進路の遮断で事件現場から出られなくなるのは、ミステリでよくある展開なんですよ。
そうなると警察の手が及ばず、捜査の手がかりを圧倒的に少なくなりますからね。論理的な推理に頼る場面が増えるってわけです」
そんなことを話していると、映研の面々が集合してきた。ほとんどのメンバーはすでに顔を合わせているが、一人だけ初見の男がいる。Tシャツにチェックの上着を羽織り、緑の太い眼鏡をかけた肥満気味の男。彼が重元だろう。
進藤に明智が尋ねる。
「このあたりで撮影するのかい」
「いや、車で少し行ったところに潰れたホテル跡がある。そこが撮影場所だ」
そう言って進藤は比留子の足元に視線を向けた。
「ほとんど廃墟だから、素足にサンダルだと危ないかもしれませんよ」
「廃墟に行くとは知らなったもんだから、うかつでしたね」
「それなら、向こうに着いたら私の靴を使えばいいわよ」
親切な提案をしたのは星川だ。そんな彼女が履いている白いパンプスを見て進藤は首を傾げる。
「君だって替えの靴なんて持ってきてないだろう?」
「そうだけど、幽霊を演じる時には脱がなくちゃいけないだもの」
「そうか、幽霊役は裸足だったな。じゃあどちらにせよ怪我をしないように撮影場所だけは掃除をしなきゃいけないだ」
その時、下松が明るい声をかけてきた。
「部長、探偵さんたちも一緒に行くんなら1台じゃ無理だよ。撮影道具もあるし」
「いいよ、管野さんにワゴンを借りて2台で行こう」
「僕、場所を知りませんよ。そっちが先導してくれないと」と重元が口を尖らせる。
「わかってる。でもあの大きさのワゴンの車の運転は、ちょっと自信がないな」
進藤は運転が苦手らしい。すると明智が手を挙げた。
「それなら俺が運転しよう。なにかあった時のために大型免許も持っているから任せてくれ」
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